〈生きた日のモニュメント(1)〉
〈生きた日のモニュメント(2)〉
〈終戦日
ぼろぼろの青春 提げて敗戦日(終戦日)
〉
〈自画像〉
■濱口富治■
1921年(大正10年) 高知県に生まれる。1946年より山脇信徳氏に師事。
1949年(昭和24年) 第一回読売アンデパンダン展に出品。
1953年(昭和28年) 美術文化会員に推薦されるも退会。
松沢宥氏らと共にアルファー芸術陣を結成、松村画廊にて発表。
滝口修造氏と親交を結ぶ。詩文を贈られる。
1957年(昭和32年) 新象作家協会第一回大会賞。会員となる。
第三回安井賞候補となり、国立近代美術館に出品。
1960年(昭和35年) 前衛美術団体の土佐派を結成。
1961年(昭和36年) 銀座村松画廊にて個展(刃物の入った作品)
これら一連の刃物を使った作品が、第14回読売アンデパンダン展で出品拒否にあう等アバンギャルド運動で数々のスキャンダルを巻き起こした。
1963年(昭和39年) 「動くオブジェ移動展」を開催し、この時南画廊(大岡信立会)でジャン・ティンゲリー作品を交換する。
高知県では赤い岩礁運動や南日本現代美術展の開催等、先鋭的な運動を展開、一時代を築く。また幕末絵金の紹介に尽力する等、幅広い運動を展開。
1964年(昭和39年) 東京ヨコヤマ画廊にて個展(ポッポ展)
1966年(昭和41年) 汎瀬戸内美術展出品。
1967年(昭和42年) 第四回国際青年美術展に選抜される。
南日本現代美術展(高知)を主催する。
1976年(昭和51年) スペイン展出品(油彩)
堀口大学氏より賛詩を贈らる。
1977年(昭和52年) フランス展出品。
滝口修造氏より最後となる詩文贈らる。
1980年(昭和55年) 神奈川県近代美術館より表彰。
1981年(昭和56年) 文化振興者として高知市長賞を受賞。“海と花”個展。
1982年(昭和57年) 朝日新聞、朝日グラフの“女”作品掲載。(フロッタージュ作品)
キュウーバー展出品。
“エロス”(日本絵画発行)に掲載。(フロッタージュ作品)
高知県文化賞受賞。
1983年(昭和58年) 裸婦デッサン展招待出品(亀谷美術館及び三重県立美術館)
東京ヨコヤマ画廊フロッタージュ“女”作品個展。
1984年(昭和59年) 高知赤十字病院壁画製作。中国スケッチ旅行。
1985年(昭和60年) 朝日新聞新人国掲載。第一回水墨戯画展。
1986年(昭和61年) 第二回水墨戯画展。高知県展40回展に於いて功労賞受賞。蝸牛が描いた作品製作。
1987年(昭和62年) 俳人加藤楸邨氏より親書贈らる。
画人句集“出遭”出版。
1988年(昭和63年) 画人句集“出遭”に対し高知県出版文化賞受賞。
1989年(平成元年) アイヌ画家平沢屏山のエゾ風俗12カ月の内、3月と4月を発見(昭和6年より紛失、幻の絵と言われていた作品)NHK教育TVにて放映、朝日その他の新聞に掲載。
1990年(平成2年) 「雷展」(高知大丸)開催。高知県展審査員(審査員6回目)
1991年(平成3年) 第一回雷展。
朝日俳壇20年秀句に選ばれる。
1992年(平成4年) 第二回「足摺の海と風物絵画展」審査員。
第二回雷展。
美術手帳、みずゑ、三彩等に作品紹介、好評受ける。
1993年(平成5年) 第三回雷展。
1994年(平成6年) 高知県立美術館、千葉市立美術館に作品収蔵される。
1995年(平成7年) 和歌山県立美術館において“ひかる、うごく、おとがする”(20世紀の静かならざる作品たち)選ばれ出品。
1996年(平成8年) 県展理事。
1997年(平成9年) 高知県展理事長に就任。
県立美術館に於いて濱口富治(土佐派)を中心とする“1960年代こんなアバンギャルドがあった”
高知県立美術館に作品収蔵される。
2000年(平成12年) 著書『海と赤の幻想』を出版。
2003年(平成15年) 高知県展顧問に就任。
2009年(平成21年)5月13日歿87歳