■武内光仁■

〈テントに覆われ忘れられようとする「在りし日の出来事」〉

 この作品の何より特徴的なことは、画面を大きさの異なる二つの部分に区切っている、ということではないか。
 しかも、見掛けは二つの画面に分けられているのだが、描かれている〈もの〉は、連続し混然と調和する一つの〈心象風景〉なのである。
 一つの世界を、なぜ、二つに分けなければならないのだろう。素直な意識の流れを、なぜ、あえて分断しなければならぬのか。そんな、意識的な“落差”が意外生を生み、見る者に不思議な感覚を与える。
 画面にはフィルムを思わせる矢印がある種の力を秘めた格好で縦横に伸び、その出発点にあるのは、文字盤のない透明な時計を連想させる物体だ。このフィルムの一コマ一コマには、多分、忘れがたい記憶が閉じ込められているのではないか。
 それ自体が無限に生長し続けるかのように延々と伸びる石の階段には、通り過ぎた〈時〉をしのばせるひび割れが…。
 階段の側には、無数の不気味なマスク(仮面)が骸のように横たわり、紐で縛られた木の十字架が幾つも幾つも浮遊する星がちりばめられたこの限定的な絵画空間。それは、時間と空間のよじれが感じられる哲学的な、あるいは宗教的な精神世界なのかもしれないのだ。
 無論、ここに描かれているのはイマジネーションの生んだ“心象”なのだが、その克明な描写力が画面に不思議な奥行と空気感、存在感を与えている。

 作品解説・小松康夫(高知新聞編集委員1995年当時)

close