縦2.1メートル、横10メートルというこの作品は、ごく普通に“大作”と言われる作品の四、五倍はあるのではないか。
これほど巨大な作品を描くことは、並大抵の努力ではできぬはずだ。そして、何よりも、しっかりとした絵画的な骨格がなければ不可能なのではないか。
少なくともこれほど大きな画面を、一枚の絵、つまりは、一つのタブローとして成立させるのは大変難しいのである。
それぞれの部分と、そんな部分の集積としての全体への目配り。これが有機的に、効果的に連関しない場合には、画面に〈落差〉が生まれる。その落差が大きければ大きいほど作品は密度を失い、全体としてふやけてしまう。
しかし、この作品はどうだろう。
巨大な画面を裏でしっかりと支える見事な〈ダイナミズム〉と、ある種日本的な趣のあるきらびやかな構成的な世界への意欲…。
結局、この作品が一つの作品として独自の世界を構築することに成功したのは、作家の“構成力”と全体を見通す“神経”が行き届いている、ということにほかならぬのだ。
画面は大きく分けると、二層の構造で成立しているのではないか。
一つは、手前部分で、苛酷な運命を暗示する大きな渦と、斜めに、いや、横に大きく伸びる大きな一本の管。それを中心として、血管を連想させる管がまとわりつくように伸びる。
そして、そんな一種の荒れた世界は、画面手前と上部から今まさに剥落しようとする。剥がれ落ちた部分からは、やがて、別の境地が出現する。それは若いころの苦労が豊かに〈実〉を結んだ、穏やかで平和な世界…。
ここにも、この画家の強烈な半生が色濃く投影されており、人生の風雨に誠実に対処した一人の人間として、豊かな“平安”を刈り取り穏やかな後半生を送りたいという、そんな願いや予感、予兆を秘めた画面なのかもしれぬ。
作品解説・小松康夫(高知新聞編集委員1995年当時)
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