シャープな現代性と造形性にしっかりと裏打ちされた“記号シリーズ”の一つである。
画面には巨大な数字などが浮遊するが、この“記号群”の中には、音を立てながら強い勢いで落下するものもありそうだ。そんな迫力が感じられる、大きな動き…。
空中に浮かぶ記号群を取り巻くようにして空間を区切っているのは、やはり、無数の小さな数字で構成された壁画である。この壁画や床には、落下したり、ぶつかったりする巨大な数字の重みなどに耐えかねた格好で、至る所に大きな亀裂ができている。
亀裂の下にあるものは、果てしない〈奈落〉なのだろうか…。
それやこれやで、作家のモティーフを例えば、現代日本の〈経済状況〉なのではないか、と考える人もいるはずだ。あるいは、現代の〈日本そのもの〉を読み取る人もいるかもしれぬ。
盤石のように見える日本そのものが、あるいは、私たちを取り巻く社会そのものが持つ“もろさ”と“あやうさ”。安定しているようでいて、実は、極めて不確かな社会でしかない、この日本。
数字で表現される世界、領域は、結局、何かの力、外圧が加わると、脆くも崩れ去る。そして、また新しく、別の数字、記号で表現される世界に取って変わられるのか。
画面の背後にいるこの作家は、そんな記号が幅を利かす世界で懸命になって生きて来たのではないか。そんな一人の人間の無念、悲哀…。
広々と澄み渡った空間を暗示する構成と、澄んだ、ある意味では透明な怒りや悲しみのような感情をも塗り込めた作品だ。色彩と構成それは、まだ荒削りかもしれぬが——この二つに非凡な才能を持っていることを物語る作品だ。
作品解説・小松康夫(高知新聞編集委員1995年当時)
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