一人の作家が生まれながらに持っている資質、可能性、才能といったものは、一体、どんなところに発芽するのだろうか。
例えば、この正方形の作品。これは、やはり同じサイズの「醜悪の中の空白」などと同様に、この作家が持つ“才能”のようなものをコンパクトに、しかも、巧みにアピールする画面なのではないか。
言い換えると、見事なまでにこの画家の才能が凝縮された作品だ、ということである。
まず、この作家の持つ構成力。そして、必要な色彩を必要なところに、ためらうことなく駆使する思い切りの良さ。そんなものが画面の随所にちりばめられているようだ。
例えば、赤、緑などの、ある意味では“危うい”色彩は、使う場所と量を誤ると、まるで品のない駄作となってしまう。ところが、それが逆に、うまく組み合わさった場合は、非常に効果的な絵画世界を現出させるのではないか。
何かの植物のように、空に向かって伸びる矢印。これが、強い意思を内に秘めた“ベクトル”としての役割を果たし、意識、意志、精神の流れを暗示し、画面にある種の緊張感、強さをも付与するのである。
星のちりばめられた空の青、植物の葉の中にしっかりと存在を主張する赤。背景の夕焼けの赤のグラデーション。
このダイナミズムと色彩の不思議な響き合いなどがあって、画面には澄んだ空気と奥行、迫力が生まれてくる。
作品解説・小松康夫(高知新聞編集委員1995年当時)
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