この作品を見る人が、まず、思い浮かべるものは、〈現代〉という言葉なのかもしれない。少なくとも、現代という時代の“姿”とか、“ありよう”のようなものを感じるのではなかろうか。
寒色が支配的な画面に構成された空間には、一定の冷気が常に満たされているかのようである。そして、そこには、現代には不可欠な小道具がそろっているのである。
小道具とは…冷えびえとした部屋を暗示する冷たい空間に浮遊する、極めて現代的な肌触りを持つ無数の記号群だ。
記号群のほとんどすべては数字であり、壁面にもびっしりとこの数字がはめ込まれている。ここは、逆に言うと、数字が壁面を構成している世界でもある、といった趣だ。
数字群の中で最も豊かな存在感が与えられているのは、巨大な〈7〉である。この数字は、しかし、粘りつくかのようにからまってくる薄紙により、がんじがらめになっている。
「記号」とは、「広く、言語・文学・各種のしるし・身振りなどを含む」という。ならば、社会を認識、考察し、それを別の人間に説明したりする時に、絶対的に必要な要素であり、手段でもあるのが、この記号だということになる。
コンピューターの発達などから、〈すべてのものは記号で表現できる〉との考え方も登場する。〈私たちのいる空間にあるものは、すべて、記号で置き換えることができる〉という考えが生まれたりもする。
そんな時代の中で、私たちの人間性がどうなってゆくのか、存在そのものがどう変わってゆくか…などと考えてみる。すると、ぼんやりと脳裏に浮かんで来るイメージは、ひょっとすると、この作品のような世界なのかもしれない。
作品解説・小松康夫(高知新聞編集委員1995年当時)
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