この作品は、記号シリーズの一つであると同時に、矢印シリーズの一つでもある。
〈記号〉が、現代社会を象徴し、反映するものだということは言うまでもないだろうが、記号は“静的”な形で画面に登場することが多い。ある種の装飾性を付与されたりもする。
一方の〈矢印〉。これは“動的”な意味合いを込めて配置される。矢印には、見る側に、ベクトルとしての“意識の流れ”の方向と量を連想させる力がありそうだ。
ゆらめきながら上に伸びて行く緑の矢印、そして、空間を強烈に引き裂くように飛ぶ矢印。
前者には、交通標識のようなものがあり、人生の折々の分岐点、岐路のようなものの存在を表象するかのようだ。後者の巨大な矢印には幾つもの階段が描かれている。これは多分、人の上昇志向や、人生の浮沈を暗示、象徴するのではないか。
様式性、装飾性を持ったさまざまな記号と、強い意志を秘めたフォルムを持った矢印を巧みに配置し、画面に動きと迫力を与えている。そして、画面に空間的な広がりを持たせると同時に、物語性をも塗り込めることに成功している。
この作品は、結局、記号シリーズと、例えば、超大作「我が生の旋律」と「記号の部屋」などの間を能動的に結ぶ佳作なのではないか…。
高知県土佐山田町立美術館(現 香美市立美術館)収蔵。
作品解説・小松康夫(高知新聞編集委員1995年当時)
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